日本の家具のルーツを訪ねて(1)

 

 日本の(洋)家具の歴史は、三百年も続いた徳川幕府から日本政府に無血で委譲(世に言う大政奉還)されたことから始まる。

 政権交代が平和裡に行われたものの、伊豆下田の黒船三隻来航するや、にわかに騒がしくなってきた。明治の直前、文久(1861〜63) 、元治(1864 〜65) 、慶応(1865 〜67) のわずか数年の間に、アメリカを始めヨーロッパの先進国は、先を争って日本に、貿易の開始を迫り、オランダは医学、その他宗教、政治等、従来の日本の鎖国主義、封建主義は好むと好まざると係わらず通商開国主義に変わっていった。

 大使、公使、領事等、諸外国から役人、民間人が来日し、又、日本からも官民の洋行者が続いた。来日する外国人は、いずれも家具を持参したが、帰国する時は、荷嵩さになるのを嫌がり処分して帰った。

 日本から外国へ赴任した使臣達は、日本では求め得ない椅子式の家具を持ち帰った。店頭に珍しい家具を散見するようになったのはこの頃からであろう。 長い船旅から持ち返る家具類は、いずれも傷を負っている。修理は専ら、日本家具の職人の所へ持込まれるが、接着剤の違いや、木釘が効かぬ洋家具の修繕や製作は手に余る状態であった。

 宮内庁の修繕業務にたづさわる杉田忠ヱ衛は、外務省の役人の持ち帰った家具の手入れに前に述べた接着剤と塗装材料の必需品を輸入することに成功し、修理は勿論、製作も可能になった。この事を伝え聞いたキズ付き家具の持主は杉田を訪ねその修理を依頼して来た。然し杉田は宮内庁の公務員であったので公然と受け合う訳には行かず遂に息子の忠五郎をして築地に洋家具専門の工場を設置するに至った。日本で本格的な洋家具の製造が始まったのはこの時からである。時に1867年〜1868年、慶応から明治に移る時代である。


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